4冊目。発刊は2006年1月。レーベルの通し番号は35。二次元ドリーム文庫としては6冊ぶりの神楽陽子作品ということになり、比率が高い。ちなみに集計したところ、この時点で二次元ドリーム文庫で4冊を上梓しているのは神楽陽子のみである。神楽陽子こそが二次元ドリーム文庫の礎を築いた存在であるという僕の主張も、あながち根拠がないわけではないのだ。
あらすじがこちら。
勝気な少女・澪とともに、清宮家の娘・姫子の世話役として臨海学園に入学した秀平。女生徒たちが水着で過ごす楽園で、彼は委員長や令嬢に大胆に迫られ、性の快感を知ってしまう。やがて姫子と澪も加わって、魅惑のスク水ハーレムライフに溺れていく!
前作「ラブパラ」も、変身前の少女たちは主人公と同じ学校に通う女生徒であり、校内での性行為のシーンもないではなかったが、しかし学園ものかと問われれば、首肯しづらいものがあった。その点、こちらは真正面からの学園ものである。それも全寮制。結局、全寮制の私学というのが、この世のエロの舞台の中で、いちばん心地いいと思う。世の中にはいろんなエロの設定があるけれど、さんざん旅行をした挙句、帰宅して「やっぱりわが家がいちばん」となるように、「やっぱり全寮制の私学がいちばん」だとしみじみと思う。
私学のいいところはなんと言っても、校則の名の下に、設定がやりたい放題だという点だ。
今作の場合で言うと、あらすじにもあるように、学園の生徒は皆、スクール水着で生活を送っている。なぜならそれが制服なのである。もっとも、さすがにスクール水着1枚のみということはない。上には半袖のセーラーを羽織っている。ただしイラストを見るとその丈はだいぶ短く、乳房をぎりぎり覆う程度までしかない。腰から下は常にスクール水着がさらけ出されている。この学園の生徒はそういう恰好で授業を受け、食事をし、休み時間を過す。ちなみに男子も同じくセーラーで、下はハーフパンツだそうだ。
なんでそんな制服なのかと言えば、タイトルにもあるように、学園が臨海にあるからだ。海ですぐに泳げるように水着だし、そして海だから水兵でセーラーなのだ。なるほど理屈は通っている。……通って、いる? いる……、よな。うん、通ってるよ。この環境でブレザーにスカートとかのほうが逆に変だよ。冬はどうなのかとか知らないよ。夏のお話だよ。
ちなみに、今作は神楽陽子による二次元ドリーム文庫初の学園ものであると先ほど述べたが、それと同時に初のスク水ものでもある。スク水、すなわちスクール水着は、神楽陽子を語る上でとても重要なキーワードだ。前作「ラブパラ」のレオタード的な魔法少女の衣装にも既にその片鱗はあったが、スクール水着をはじめとしたゴムのようなハイテンションニットは、性癖なのだろう、今後の神楽陽子作品に頻出する。ある種の持ち芸と言ってもいい。これはその記念すべき1冊目であり、同時に真骨頂だ。ここからさまざまなスク水アレンジが繰り広げられるが、スク水にセーラーを合わせたのはこの作品のみである。
もっとも僕自身の嗜好のことを言えば、実はスクール水着はそこまで響くわけではない。プールや水泳というシチュエーションはもちろん好物だが、そんなときの女の子の水着はスク水ではなくビキニのほうが断然いい。それなのにこれほど傾倒しているという点こそ、神楽陽子作品の地力の証明となっている。
前置きがだいぶ長くなった。本編の内容についても語らねばならない。もっともストーリーはあってないようなもので、あらすじの文面が全てである。秀平は性の快楽を知ってしまい、スク水ハーレムライフに溺れるのである。秀平には水嫌いというトラウマがあり、それは実は幼なじみだった澪との思い出に起因するもので……、などという筋立ては一応あるのだが、あまり気にする必要はない。性行為をすることの意味であるとか、憂いであるとか、そんなことを気にかける必要などないのだ。女の子たちはスクール水着にセーラーを羽織っただけの恰好で秀平に迫るのだ。であれば秀平はそれに応えるだけである。ちなみに大の水嫌いだった秀平は、話の中盤であっさりとトラウマを克服し、そこからはむしろ逆で、水気に対して異様な性的興奮を覚えるようになる。このとき効果的になってくるのが少女たちの濡れたスクール水着で、水分を多く湛えたそれで性行為をすることで、秀平の獣性はいや増す。つまりスクール水着はただの外見狙いのフェティシズムではなく、効果的に性感と結びついているのだ。やっぱりここには理屈が通って……いる、うん、いるんだと思う。
そうなのだ、神楽陽子の作品では、いつだって女の子たちの衣装がきちんと有機的に作用している。ただエロい、ただ過激な恰好をさせているわけではない。たとえば4人いる女の子のひとりに、財閥の令嬢がいる。とても育ちがいい少女である。この子はとても上品で清楚なので、そうなってくるとスクール水着も当然、白だということになる。一方で白いスクール水着はすぐに透けてしまうという特徴があり、結果的に深窓の令嬢は他のクラスメイトよりもはるかに容易く、スクール水着で覆っている下半身を透けさせて晒すこととなる。でもそれは結果論に過ぎず、やっぱりこの子が着るスク水は白だというのが道理である。
実際、衣装に関しては並々ならぬ熱意があるようで、描写にも力が入っている。かつて読んだ際にそこまでの印象はなかったが、今回の読み返しで、改めてそのことに気付いた。以下のような記述がある。
尻とは打って変わって華奢な肩が強張る。下向いた豊乳が、セーラーを後ろ身頃まで手前に引くのか、背の縦線が薄ピンクの地にはっきりと浮かぶ。半袖短裾では巨乳を包むには足りないが、二の腕に掛かる水着の肩紐が、釣鐘肉を下溝から掬い上げて裾の裏に押し込んだ。それでも過剰な蠱惑感までは隠しきれない。
衣装と、それを纏う女の子の肉体とを、こんなにも絡めた描写は珍しいと思う。ちなみにこのとき少女は、ビーチサイドに立てたパラソルの支柱に掴まり、主人公に尻を向けて挿入をせがんでいる。そのため豊乳は下を向き、セーラーが引っ張られ、背中心の縫い目が際立つのである。セーラーは少女の巨乳に対して窮屈だが、既にずらされているスク水の肩紐が釣鐘肉を持ち上げて、裾の裏に押し込んでいるという。……裾の裏に押し込む? ん? イメージが湧かない。湧かないが、本来ならそれで過剰な蠱惑感が和らげられるはずが、この少女の場合はそれが隠しきれていないという。なんかすごい。もうなんかすごいとしか言いようがない。そして「後ろ身頃」とか、言葉がもはや縫製用語で、ドキッとする。
解る、解るよ。ただの裸ではない、生地があるからこそのエロティシズム。服作り、水着作りって、要するにそういうことだ。なるほど、この思想が根底にあるから、神楽陽子作品はこんなにも心に刺さるのかもしれない。神楽陽子作品の衣装は、衣装が、ただの体を覆う布ではなく、起伏のある肉体に対し、その形を生かすための立体裁断がなされているように思う。その結果、平面的ではないダイナミックな動きが実現している。だから神楽陽子の描くセックス描写は鮮やかでおもしろい。二次元ドリーム文庫の礎を築いた物語は、実は三次元発想で生み出されていたのであった。