2025/10/19

「お姉さんが診てアゲル」を読んで


 5冊目。刊行は2006年5月。レーベルの通し番号は42。相変わらず順調な刊行ペースであり、この時点での5冊到達はもちろんのこと、4冊の著者も他にいない。ひとりずんずん先を行く、われらが神楽陽子である。
 今作のあらすじはこちら。

 虚弱体質の少年・悟が入院したE病棟。そこで待ち受けていたのは、レオタードを着た四人のお姉さんナースだった! 年上の美女たちに施される、献身的なお世話の域を超えた大胆な奉仕に、少年の心と身体は肉欲の病に冒されていく!!

 前作の学園ものに続き、こちらは病院、すなわちナースものである。もっともナースものは、AVでは定番だし、おっさん向け官能小説でもよく見られるが、ラノベ系エロ小説界隈ではわりと珍しかったりする。二次元ドリーム文庫全体の刊行作品をざっとチェックしても、ナースものというのはこれの他にほぼ存在しないと言っていい。これはなぜかと考えて、主人公が学生である場合が多いラノベ系エロ小説で、病院を舞台に、ナースたちに奉仕される物語を描こうとすると、登場する女の子がみんな主人公に対して年上になってしまうからではないかと思った。
 この作品がまさにそうである。主人公である虚弱体質の少年・悟の年齢は明言されていないが、ナースのうちのひとりは弟を溺愛する主人公の実の姉・エリカであり、年齢は22歳だという。女の子は他に、エリカの親友である引っ込み思案の真奈美、ふたりの先輩で奔放な性格の綾乃(25歳という記述がある)、その同輩でしっかり者の唯がいる。主人公の年齢はどんなに高く見積もっても16か17といったところで、相手となる女の子全員が5歳以上も年上であるという、とても珍しい編成になっている。これもひとえに草創期であるがゆえの産物だろう。後世の作品であれば、主人公の入院を心配して病院に駆けつける同級生を出すか、あるいは年齢的には年上であっても、4人のうちのひとりはとても幼い外見にしなければならなかったろうと思う。
 あらすじに戻ると、お姉さんナースたちはレオタードを着ているという。これについて、あらすじでは説明しきれない理由付けを補足しなければならない。お姉さんナースたちは、ハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードの上に、ナース服のトップスを羽織る(もちろんナースキャップも被る)という恰好をしているのだが、なぜこんなことになっているのか、前作のスク水セーラーに引き続き、そういう制服の私立病院なのか、と言えばそういうことではない。悟は大病院を経営する天才医師の息子であり、その父である天才医師の研究のため(悟自身はこの入院が実験であり自分がモルモットにされているということは知らない)、他に人のいないE病棟に閉じ込められ、もちろん他の病棟ではそんな恰好をするはずがないナースたちに、それは手厚くお世話をされるという、これはそういうお話なのだ。
 それでは父の研究テーマはなにかと言えば、リビドーの高まりによって人は生命力を高めるという仮説のもと、性的興奮がどれほど健康に作用するか、というもので、そんな高尚な理念による実証実験のため、父は虚弱体質の息子を実験台にするし、若いナースたちは、どうしたって下半身がハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードのみという姿で、主人公の看護をする必要が出てくる。きちんと理屈があるのだ。AVによくある、ただセーラー服がシースルーになってる学園とはぜんぜん違うのだ。「そんなナースいねえよ(笑)」などと嘲った自分たちを恥じてほしい。
 物語は、なにしろ悟を興奮させるのが目的なので、身の回りの世話をしながら、ナースたちは次々に悟を誘惑してゆく。今作でもまた、神楽陽子の衣装に対するこだわりがよかった。ナースたちのレオタードももちろんだが、主人公の少年が纏う入院着である。

 学生服は脱ぎ、代わりに緑色のローブを一枚羽織っていた。恥ずかしいことに、入院の間は衛生面の関係でパンツを穿いてはいけないという。
 実際に下着の着用を禁じられているのは被験者の悟のみだった。ひんやりとした外気が真下から股間を煽り、ゾクゾクと寒気が込み上げる。
(しっかり留めとかなくちゃ)
 少年は逸物が食み出すことのないよう、腰紐を固く結んだ。しかし中央にくるあわせはどうしようもなく、歩くときは歩幅を狭めるしかない。
 入院患者が使用する正規の衣は、あわせが左脇にくる。すべては猥褻な実験のため、宗一郎に仕組まれたことだった。

 悟のローブだけは、他の入院患者と違って、あわせが中央に来るのだという。だから腰紐を固く結んでも、どうしてもセンター部分が開けて、ノーパンということもありそこから容易に逸物がはみ出てしまう。
 それはエロいことだな、と直感で思う。ぱぱぼとるをぶぉろろぉぉんすることについては一家言あるので、いい衣装だな、とまず思った。しかし実際に作ろうと思ったわけではないが、少し考えて、あわせが中央ってどういうことだろう、とも思った。正規の入院患者が着るような、左脇にあわせが来る仕組みとまではいかなくても、あわせである以上、どうしたって上前と下前は存在し、そのふたつが重なる打ち合いは発生するものではないか。それがこの場合、完全に中央だということなのか。だとすればそれは、悟のヌード寸法ちょうどの胴回りになるよう設計されていて、それを上前下前それぞれの端に縫い付けられた腰紐で繋ぐという仕組みなのだろうか。もしそうだとしたら、それははみ出るよ。しかも悟の逸物と来たら、それはもうすさまじい巨根で、勃起時の全長は『二十センチもあろうか。』とのことである。打ち合いの一切ないあわせから、20cmの巨根がはみ出ている。それを、下半身がハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードのナースによって世話される。
 これはそういう世界の話である。
 さらには物語の途中で、マッドサイエンティストの父により、悟は強力な媚薬を投与されたということが判明する。

「コレは媚薬よ。それもかなり強力なもの。依存症だってあるわ」
「え!? い、院長先生は、体調を整えるお薬だって」
「あの院長の言葉を真に受けちゃダメよ。はあ……面倒なことになったわね」
 この種の媚薬は性欲を鼓舞するだけでなく、生産される精子の量を爆発的に増やし、精巣に障害を与えることもある。投薬を中止しても向こう一週間は鎮まらない。
 その七日間、頻繁に射精させて精巣を飽和させないことが唯一の対策だった。しかし真奈美ひとりに任せるにはあまりに酷だ。それほどの回数をこなさねばならない。

 なぜナースたちの下半身が、ハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードなのか。なぜ4人で寄ってたかって主人公に性的な奉仕をするのか。これですべての説明はついた。ただの実験でもよかったのに、そこにナースとしての人命救助の使命まで加わったのである。毎度のことながら、神楽陽子はスケベの理由付けにおいて、とても律義である。
 ただしこの徹底は、エロ小説において、実は必須というわけではない。『女の子もエロい』という憲章を盾に、主人公が次々にエロい目に遭うことについて、なんの言い訳もしない小説もある。しかしそれは、言わば食材をそのまま腹に詰めているようなもので、栄養成分的にはたしかに一緒なのだけど、しかし格別の悦びを得ようと思ったら、やはりおいしく料理されているほうが好もしいだろう。
 作者である神楽陽子によってきちんと調理が施され、一切の憂いもなく、あとはやることをやるだけになった物語は、それではここから目もくらむような高みへと至るのかと言えば、しかし実はそんなこともないのだった。これが創作の難しいところだろう。
 4人のナースのうちのひとりは実の姉だということは書いた。これがあまりよくなかった気がする。実の姉なので、セックスをすることができない。しかしこの姉は重度のブラコンなので、他の3人が悟に性的奉仕をするさまを眺めて、忸怩たる思いを抱く。その結果、どこに帰結するかと言えば、それは当然アナルセックスということになる。
 アナルセックス。
 エロ小説、二次元ドリーム文庫、神楽陽子について語っていく以上、どうしたって避けられないテーマである。それについて、ここまでの刊行作ではどうだったかと言えば、『聖魔ちぇんじ!』と『なりきりプリンセス』は、主人公であるヒロインの穴という穴が犯される、という二次元ドリームノベルスの世界観で描かれていたため、当然それはあった。しかしこれは物語の性質が違うのでノーカンだ。3作目『ラブパラ』、4作目『ハートフルパニック』では、女の子の肛門に指を突っ込んで絶頂させるという描写はあったものの、本式のアナルセックスはなかった。
 つまり主人公の男が、意識的に女の子の肛門にぱぱぼとるを挿入したのは、今作が初だということになる。それに対して僕は、開けなくていい門を開けてしまったな、と思う。肛門だけに。指くらいでよかった。
 アナルセックスって、別にしたい人はすればいいと思うし、二次元ドリームノベルスの、穴という穴犯され系ストーリーであれば、それはアナルにも挿れるべきだろ、とは思うけど、この物語のように、ただでさえひとりの主人公に対して4人の女の子がいるという設定なのに、そこへ女の子の穴として、ヴァギナだけでなく肛門まで出てくると、いよいよバランスが悪くなってしまうと思う。
 物語では、姉弟のアナルセックスを見た他の3人も感化され、次々に主人公に肛門への挿入を願い(肛門に巨根ってそんなにスムーズに入るんだ、というくらい次々に入る)、挙句の果てには結局そのあと実の姉とヴァギナでの性交も行なって、つまり1本しかないぱぱぼとるに対し、穴が8個も現出したことになるのだった。
 なんかその感じに、ラストシーンはすっかり冷めてしまって、物語全体としていまいちな印象を持ってしまった。4人の肛門を次々に行き来する、という行為に対し、普通に衛生上の嫌悪感を抱いたというのもある。よりにもよってナースものなのに。
 まあ、神楽陽子作品だって、すべてがすべて、諸手を挙げて大絶賛ではないということだ。もちろん設定などは秀逸だと思うし。ちなみにだが、専門家によるファルマンによると、タイトルの「診る」という表記は、医師においてしか使用できないので、ナースが使うのは誤用だそうだ。読んでるエロ小説に関し、妻にそんなこと言われると、なんか萎えるじゃんよ……。

2025/10/05

「ハートフルパニック どきどき臨海学園」を読んで


 4冊目。発刊は2006年1月。レーベルの通し番号は35。二次元ドリーム文庫としては6冊ぶりの神楽陽子作品ということになり、比率が高い。ちなみに集計したところ、この時点で二次元ドリーム文庫で4冊を上梓しているのは神楽陽子のみである。神楽陽子こそが二次元ドリーム文庫の礎を築いた存在であるという僕の主張も、あながち根拠がないわけではないのだ。
 あらすじがこちら。

 勝気な少女・澪とともに、清宮家の娘・姫子の世話役として臨海学園に入学した秀平。女生徒たちが水着で過ごす楽園で、彼は委員長や令嬢に大胆に迫られ、性の快感を知ってしまう。やがて姫子と澪も加わって、魅惑のスク水ハーレムライフに溺れていく!

 前作「ラブパラ」も、変身前の少女たちは主人公と同じ学校に通う女生徒であり、校内での性行為のシーンもないではなかったが、しかし学園ものかと問われれば、首肯しづらいものがあった。その点、こちらは真正面からの学園ものである。それも全寮制。結局、全寮制の私学というのが、この世のエロの舞台の中で、いちばん心地いいと思う。世の中にはいろんなエロの設定があるけれど、さんざん旅行をした挙句、帰宅して「やっぱりわが家がいちばん」となるように、「やっぱり全寮制の私学がいちばん」だとしみじみと思う。
 私学のいいところはなんと言っても、校則の名の下に、設定がやりたい放題だという点だ。
 今作の場合で言うと、あらすじにもあるように、学園の生徒は皆、スクール水着で生活を送っている。なぜならそれが制服なのである。もっとも、さすがにスクール水着1枚のみということはない。上には半袖のセーラーを羽織っている。ただしイラストを見るとその丈はだいぶ短く、乳房をぎりぎり覆う程度までしかない。腰から下は常にスクール水着がさらけ出されている。この学園の生徒はそういう恰好で授業を受け、食事をし、休み時間を過す。ちなみに男子も同じくセーラーで、下はハーフパンツだそうだ。
 なんでそんな制服なのかと言えば、タイトルにもあるように、学園が臨海にあるからだ。海ですぐに泳げるように水着だし、そして海だから水兵でセーラーなのだ。なるほど理屈は通っている。……通って、いる? いる……、よな。うん、通ってるよ。この環境でブレザーにスカートとかのほうが逆に変だよ。冬はどうなのかとか知らないよ。夏のお話だよ。
 ちなみに、今作は神楽陽子による二次元ドリーム文庫初の学園ものであると先ほど述べたが、それと同時に初のスク水ものでもある。スク水、すなわちスクール水着は、神楽陽子を語る上でとても重要なキーワードだ。前作「ラブパラ」のレオタード的な魔法少女の衣装にも既にその片鱗はあったが、スクール水着をはじめとしたゴムのようなハイテンションニットは、性癖なのだろう、神楽陽子作品に頻出する。ある種の持ち芸と言ってもいい。これはその記念すべき1冊目であり、同時に真骨頂だ。ここからさまざまなスク水アレンジが繰り広げられるが、スク水にセーラーを合わせたのはこの作品のみである。
 もっとも僕自身の嗜好のことを言えば、実はスクール水着はそこまで響くわけではない。プールや水泳というシチュエーションはもちろん好物だが、そんなときの女の子の水着はスク水ではなくビキニのほうが断然いい。それなのにこれほど傾倒しているという点こそ、神楽陽子作品の地力の証明となっている。
 前置きがだいぶ長くなった。本編の内容についても語らねばならない。もっともストーリーはあってないようなもので、あらすじの文面が全てである。秀平は性の快楽を知ってしまい、スク水ハーレムライフに溺れるのである。秀平には水嫌いというトラウマがあり、それは実は幼なじみだった澪との思い出に起因するもので……、などという筋立ては一応あるのだが、あまり気にする必要はない。性行為をすることの意味であるとか、憂いであるとか、そんなことを気にかける必要などないのだ。女の子たちはスクール水着にセーラーを羽織っただけの恰好で秀平に迫るのだ。であれば秀平はそれに応えるだけである。ちなみに大の水嫌いだった秀平は、話の中盤であっさりとトラウマを克服し、そこからはむしろ逆で、水気に対して異様な性的興奮を覚えるようになる。このとき効果的になってくるのが少女たちの濡れたスクール水着で、水分を多く湛えたそれで性行為をすることで、秀平の獣性はいや増す。つまりスクール水着はただの外見狙いのフェティシズムではなく、効果的に性感と結びついているのだ。やっぱりここには理屈が通って……いる、うん、いるんだと思う。
 そうなのだ、神楽陽子の作品では、いつだって女の子たちの衣装がきちんと有機的に作用している。ただエロい、ただ過激な恰好をさせているわけではない。たとえば4人いる女の子のひとりに、財閥の令嬢がいる。とても育ちがいい少女である。この子はとても上品で清楚なので、そうなってくるとスクール水着も当然、白だということになる。一方で白いスクール水着はすぐに透けてしまうという特徴があり、結果的に深窓の令嬢は他のクラスメイトよりもはるかに容易く、スクール水着で覆っている下半身を透けさせて晒すこととなる。でもそれは結果論に過ぎず、やっぱりこの子が着るスク水は白だというのが道理である。
 実際、衣装に関しては並々ならぬ熱意があるようで、描写にも力が入っている。かつて読んだ際にそこまでの印象はなかったが、今回の読み返しで、改めてそのことに気付いた。以下のような記述がある。

 尻とは打って変わって華奢な肩が強張る。下向いた豊乳が、セーラーを後ろ身頃まで手前に引くのか、背の縦線が薄ピンクの地にはっきりと浮かぶ。半袖短裾では巨乳を包むには足りないが、二の腕に掛かる水着の肩紐が、釣鐘肉を下溝から掬い上げて裾の裏に押し込んだ。それでも過剰な蠱惑感までは隠しきれない。

 衣装と、それを纏う女の子の肉体とを、こんなにも絡めた描写は珍しいと思う。ちなみにこのとき少女は、ビーチサイドに立てたパラソルの支柱に掴まり、主人公に尻を向けて挿入をせがんでいる。そのため豊乳は下を向き、セーラーが引っ張られ、背中心の縫い目が際立つのである。セーラーは少女の巨乳に対して窮屈だが、既にずらされているスク水の肩紐が釣鐘肉を持ち上げて、裾の裏に押し込んでいるという。……裾の裏に押し込む? ん? イメージが湧かない。湧かないが、本来ならそれで過剰な蠱惑感が和らげられるはずが、この少女の場合はそれが隠しきれていないという。なんかすごい。もうなんかすごいとしか言いようがない。そして「後ろ身頃」とか、言葉がもはや縫製用語で、ドキッとする。
 解る、解るよ。ただの裸ではない、生地があるからこそのエロティシズム。服作り、水着作りって、要するにそういうことだ。なるほど、この思想が根底にあるから、神楽陽子作品はこんなにも心に刺さるのかもしれない。神楽陽子作品の衣装は、衣装が、ただの体を覆う布ではなく、起伏のある肉体に対し、その形を生かすための立体裁断がなされているように思う。その結果、平面的ではないダイナミックな動きが実現している。だから神楽陽子の描くセックス描写は鮮やかでおもしろい。二次元ドリーム文庫の礎を築いた物語は、実は三次元発想で生み出されていたのであった。