5冊目。刊行は2006年5月。レーベルの通し番号は42。相変わらず順調な刊行ペースであり、この時点での5冊到達はもちろんのこと、4冊の著者も他にいない。ひとりずんずん先を行く、われらが神楽陽子である。
今作のあらすじはこちら。
虚弱体質の少年・悟が入院したE病棟。そこで待ち受けていたのは、レオタードを着た四人のお姉さんナースだった! 年上の美女たちに施される、献身的なお世話の域を超えた大胆な奉仕に、少年の心と身体は肉欲の病に冒されていく!!
前作の学園ものに続き、こちらは病院、すなわちナースものである。もっともナースものは、AVでは定番だし、おっさん向け官能小説でもよく見られるが、ラノベ系エロ小説界隈ではわりと珍しかったりする。二次元ドリーム文庫全体の刊行作品をざっとチェックしても、ナースものというのはこれの他にほぼ存在しないと言っていい。これはなぜかと考えて、主人公が学生である場合が多いラノベ系エロ小説で、病院を舞台に、ナースたちに奉仕される物語を描こうとすると、登場する女の子がみんな主人公に対して年上になってしまうからではないかと思った。
この作品がまさにそうである。主人公である虚弱体質の少年・悟の年齢は明言されていないが、ナースのうちのひとりは弟を溺愛する主人公の実の姉・エリカであり、年齢は22歳だという。女の子は他に、エリカの親友である引っ込み思案の真奈美、ふたりの先輩で奔放な性格の綾乃(25歳という記述がある)、その同輩でしっかり者の唯がいる。主人公の年齢はどんなに高く見積もっても16か17といったところで、相手となる女の子全員が5歳以上も年上であるという、とても珍しい編成になっている。これもひとえに草創期であるがゆえの産物だろう。後世の作品であれば、主人公の入院を心配して病院に駆けつける同級生を出すか、あるいは年齢的には年上であっても、4人のうちのひとりはとても幼い外見にしなければならなかったろうと思う。
あらすじに戻ると、お姉さんナースたちはレオタードを着ているという。これについて、あらすじでは説明しきれない理由付けを補足しなければならない。お姉さんナースたちは、ハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードの上に、ナース服のトップスを羽織る(もちろんナースキャップも被る)という恰好をしているのだが、なぜこんなことになっているのか、前作のスク水セーラーに引き続き、そういう制服の私立病院なのか、と言えばそういうことではない。悟は大病院を経営する天才医師の息子であり、その父である天才医師の研究のため(悟自身はこの入院が実験であり自分がモルモットにされているということは知らない)、他に人のいないE病棟に閉じ込められ、もちろん他の病棟ではそんな恰好をするはずがないナースたちに、それは手厚くお世話をされるという、これはそういうお話なのだ。
それでは父の研究テーマはなにかと言えば、リビドーの高まりによって人は生命力を高めるという仮説のもと、性的興奮がどれほど健康に作用するか、というもので、そんな高尚な理念による実証実験のため、父は虚弱体質の息子を実験台にするし、若いナースたちは、どうしたって下半身がハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードのみという姿で、主人公の看護をする必要が出てくる。きちんと理屈があるのだ。AVによくある、ただセーラー服がシースルーになってる学園とはぜんぜん違うのだ。「そんなナースいねえよ(笑)」などと嘲った自分たちを恥じてほしい。
物語は、なにしろ悟を興奮させるのが目的なので、身の回りの世話をしながら、ナースたちは次々に悟を誘惑してゆく。今作でもまた、神楽陽子の衣装に対するこだわりがよかった。ナースたちのレオタードももちろんだが、主人公の少年が纏う入院着である。
学生服は脱ぎ、代わりに緑色のローブを一枚羽織っていた。恥ずかしいことに、入院の間は衛生面の関係でパンツを穿いてはいけないという。
実際に下着の着用を禁じられているのは被験者の悟のみだった。ひんやりとした外気が真下から股間を煽り、ゾクゾクと寒気が込み上げる。
(しっかり留めとかなくちゃ)
少年は逸物が食み出すことのないよう、腰紐を固く結んだ。しかし中央にくるあわせはどうしようもなく、歩くときは歩幅を狭めるしかない。
入院患者が使用する正規の衣は、あわせが左脇にくる。すべては猥褻な実験のため、宗一郎に仕組まれたことだった。
悟のローブだけは、他の入院患者と違って、あわせが中央に来るのだという。だから腰紐を固く結んでも、どうしてもセンター部分が開けて、ノーパンということもありそこから容易に逸物がはみ出てしまう。
それはエロいことだな、と直感で思う。ぱぱぼとるをぶぉろろぉぉんすることについては一家言あるので、いい衣装だな、とまず思った。しかし実際に作ろうと思ったわけではないが、少し考えて、あわせが中央ってどういうことだろう、とも思った。正規の入院患者が着るような、左脇にあわせが来る仕組みとまではいかなくても、あわせである以上、どうしたって上前と下前は存在し、そのふたつが重なる打ち合いは発生するものではないか。それがこの場合、完全に中央だということなのか。だとすればそれは、悟のヌード寸法ちょうどの胴回りになるよう設計されていて、それを上前下前それぞれの端に縫い付けられた腰紐で繋ぐという仕組みなのだろうか。もしそうだとしたら、それははみ出るよ。しかも悟の逸物と来たら、それはもうすさまじい巨根で、勃起時の全長は『二十センチもあろうか。』とのことである。打ち合いの一切ないあわせから、20cmの巨根がはみ出ている。それを、下半身がハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードのナースによって世話される。
これはそういう世界の話である。
さらには物語の途中で、マッドサイエンティストの父により、悟は強力な媚薬を投与されたということが判明する。
「コレは媚薬よ。それもかなり強力なもの。依存症だってあるわ」
「え!? い、院長先生は、体調を整えるお薬だって」
「あの院長の言葉を真に受けちゃダメよ。はあ……面倒なことになったわね」
この種の媚薬は性欲を鼓舞するだけでなく、生産される精子の量を爆発的に増やし、精巣に障害を与えることもある。投薬を中止しても向こう一週間は鎮まらない。
その七日間、頻繁に射精させて精巣を飽和させないことが唯一の対策だった。しかし真奈美ひとりに任せるにはあまりに酷だ。それほどの回数をこなさねばならない。
なぜナースたちの下半身が、ハイレグかつ生地のきわめて薄いレオタードなのか。なぜ4人で寄ってたかって主人公に性的な奉仕をするのか。これですべての説明はついた。ただの実験でもよかったのに、そこにナースとしての人命救助の使命まで加わったのである。毎度のことながら、神楽陽子はスケベの理由付けにおいて、とても律義である。
ただしこの徹底は、エロ小説において、実は必須というわけではない。『女の子もエロい』という憲章を盾に、主人公が次々にエロい目に遭うことについて、なんの言い訳もしない小説もある。しかしそれは、言わば食材をそのまま腹に詰めているようなもので、栄養成分的にはたしかに一緒なのだけど、しかし格別の悦びを得ようと思ったら、やはりおいしく料理されているほうが好もしいだろう。
作者である神楽陽子によってきちんと調理が施され、一切の憂いもなく、あとはやることをやるだけになった物語は、それではここから目もくらむような高みへと至るのかと言えば、しかし実はそんなこともないのだった。これが創作の難しいところだろう。
4人のナースのうちのひとりは実の姉だということは書いた。これがあまりよくなかった気がする。実の姉なので、セックスをすることができない。しかしこの姉は重度のブラコンなので、他の3人が悟に性的奉仕をするさまを眺めて、忸怩たる思いを抱く。その結果、どこに帰結するかと言えば、それは当然アナルセックスということになる。
アナルセックス。
エロ小説、二次元ドリーム文庫、神楽陽子について語っていく以上、どうしたって避けられないテーマである。それについて、ここまでの刊行作ではどうだったかと言えば、『聖魔ちぇんじ!』と『なりきりプリンセス』は、主人公であるヒロインの穴という穴が犯される、という二次元ドリームノベルスの世界観で描かれていたため、当然それはあった。しかしこれは物語の性質が違うのでノーカンだ。3作目『ラブパラ』、4作目『ハートフルパニック』では、女の子の肛門に指を突っ込んで絶頂させるという描写はあったものの、本式のアナルセックスはなかった。
つまり主人公の男が、意識的に女の子の肛門にぱぱぼとるを挿入したのは、今作が初だということになる。それに対して僕は、開けなくていい門を開けてしまったな、と思う。肛門だけに。指くらいでよかった。
つまり主人公の男が、意識的に女の子の肛門にぱぱぼとるを挿入したのは、今作が初だということになる。それに対して僕は、開けなくていい門を開けてしまったな、と思う。肛門だけに。指くらいでよかった。
アナルセックスって、別にしたい人はすればいいと思うし、二次元ドリームノベルスの、穴という穴犯され系ストーリーであれば、それはアナルにも挿れるべきだろ、とは思うけど、この物語のように、ただでさえひとりの主人公に対して4人の女の子がいるという設定なのに、そこへ女の子の穴として、ヴァギナだけでなく肛門まで出てくると、いよいよバランスが悪くなってしまうと思う。
物語では、姉弟のアナルセックスを見た他の3人も感化され、次々に主人公に肛門への挿入を願い(肛門に巨根ってそんなにスムーズに入るんだ、というくらい次々に入る)、挙句の果てには結局そのあと実の姉とヴァギナでの性交も行なって、つまり1本しかないぱぱぼとるに対し、穴が8個も現出したことになるのだった。
なんかその感じに、ラストシーンはすっかり冷めてしまって、物語全体としていまいちな印象を持ってしまった。4人の肛門を次々に行き来する、という行為に対し、普通に衛生上の嫌悪感を抱いたというのもある。よりにもよってナースものなのに。
まあ、神楽陽子作品だって、すべてがすべて、諸手を挙げて大絶賛ではないということだ。もちろん設定などは秀逸だと思うし。ちなみにだが、専門家によるファルマンによると、タイトルの「診る」という表記は、医師においてしか使用できないので、ナースが使うのは誤用だそうだ。読んでるエロ小説に関し、妻にそんなこと言われると、なんか萎えるじゃんよ……。